伝統製法で作る「能登の塩」から命の大切さを伝えます。
のと塩の里について
能登の伝統製塩技術「揚浜塩田」を
大切に守っています。
能登に江戸時代から伝わる「揚浜製塩」
山からの恵み、海からの恵みを大切にしながら能登の人々は生きてきました。周囲をぐるっと海で囲まれた水産資源豊かな能登では、海の恵みは自然からの最高の贈り物です。
能登の揚浜製塩は自然を汚さず、破壊せず、大切に扱ってきたからこそ伝えられた貴重な財産です。揚浜式の製塩では、海面より高い場所につくられた「塩田」に海水を運び、お日様と風の力を借りて水分を蒸発させ、濃縮した海水を作ってから釜で煮詰めて塩の結晶を取り出しています。
揚浜塩田の歴史
能登の製塩は古くは縄文時代に始まり、平安のころから塩田が作られるようになったといわれています。前田利家の時代からの塩田に対しての課税記録が残っています。江戸時代には銀や米を塩田生産者に貸し付けてその生産された塩で返済を求める制度が行われていました。まさに、製塩が能登の一大産業であった様子がうかがえます。昭和の初め頃まで能登各地に塩田がありましたが、製塩事業が国営化し、明治43年から昭和4年にかけて国の政策で生産効率の低い揚浜式塩田は全国から姿を消し、ついには能登でも角花家(珠洲市)1軒を残すのみとなりました。
平成9年に塩専売制が廃止となり、能登で揚浜式塩田の再生が始まります。弊社もその一つで、塩田に神が降臨されたとの言い伝えのある立壁・四方山地区に揚浜塩田を再生しました。塩田整理が始まる前は年2,000俵の塩を産出する塩田7枚、釜13枚の一大製塩地だった場所でした。
持続可能な社会を求めて
日本古来から続いてきた製塩法、森林整備で手に入れる炭、有機肥料で育てる田畑や家畜、こうした自然と調和した「能登に息づく持続可能な生活文化」が2011年に世界農業遺産に認定されました。私たちは子供たち、孫たち、その子孫たちに笑顔いっぱいの幸せを残したいと願っています。そのために必要なのは「身の周りの資源」を持続可能な形で利用・再生し、また次の時代につないでいくこと。と考えています。
子供たちの、孫たちの笑顔を思うのと同じように、私たちの作る商品が皆様の笑顔につながることを切に願っております。